【哲学と科学】人工知能(AI)はクオリアを持つか

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クオリアという言葉を聞いたことがあるでしょうか。哲学的命題としてもかなり人気が高い話だと思います。

感覚的・主観的な経験にもとづく独特の質感。「秋空の青くすがすがしい感じ」「フルートの音色のような高く澄んだ感じ」など。

出典:コトバンク

雑に言うと、私達がりんごを見た時に「赤いもの」と認識しますが、同時に頭の中で赤いというイメージすると思います。

「言葉に出来ないけどなんかアレな感じ」という感覚をクオリアと言います。

脳科学が全てを説明出来るのであれば、言葉に出来ない感覚も全てどのようにニューロンの電気信号が作用しているのか分かるはずです。

しかし、脳を分解しても膨大なニューロンが電気信号を送受信している姿しかなく、電気信号をいくら分析しても、あの感覚が心にふっと湧いてくる理由も、私という自我が生まれる理由も分かっていません。

もっとも、科学というのは主観的な要素を解明するものではないので、永遠に未知のままなのかもしれませんが。

今回の記事はAIとクオリアについて色々考えてみた記事です。

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クオリアを理解してみる

マリーの部屋

クオリアを理解するための思考実験にマリーの部屋という命題があります。

生まれてからずっと白と黒しかない部屋で過ごしていたマリーは、神経生理学について勉強したため、赤いというものをどう感じるか、完全な知識を持っています。

そのマリーがある日はじめて外に出て赤を見たとしましょう。

マリーは何か新しいことを知るでしょうか、それとも既に完全な知識を持っているから新しく知ることは何もないと言えるでしょうか。

もし新しく知ることがあるとすれば、それをクオリアと呼ぶのではないかという思考実験です。

哲学的ゾンビ

クオリアの思考実験として有名な例には「哲学的ゾンビ」もあります。

哲学的ゾンビというのは、外見も行動も普通の人間と全く同じに見えるのに、実はクオリアを全く持っていない人間のことです。

りんごは赤い、空は青い、砂はザラザラ、岩はゴツゴツ。そういった感覚は誰しも共有しているものと思いがちですが、そうではないかもしれません。

でも彼らは普通の人間と同じように行動出来るので、あたかもクオリアがあるように「りんごは赤いんだったね」と振る舞います。すると、外から見て彼らにクオリアがあるかどうかは分からないのです。

つまり、隣の人はもしかしたら自分と違う火星の住人なのかもしれないし、自分以外は全員ロボットなのかもしれない。あるいは自分が見ていないところではドロドロの液体になってて、自分が見たときだけ人間の姿をしているのかもしれない。そんな説が成り立ちます。

こう書くと厨二病唯我論のように聞こえますが、究極的には自分自身が火星人やロボットでないということさえ証明できないのです。

「水槽の脳」において、この世界は精巧に作られた仮想現実で、水槽に浮かんだ脳に繋がった電子デバイスを通じて見ているという可能性もあると。

自由意志があるように思わされている、自分自身だけは存在すると思わされている……そういう少し不思議(SF)で怖い話なのです。

見ている景色が共有出来たとして

科学の発展が哲学を隅に追いやってしまうことは多々あります。

2人が赤いりんごを見てお互いに「赤い」と感じたとして、それが自分の感じている赤と同じかどうか顕密には分かりません。極論、私が赤いと思っているものがある人にとっては緑色だと感じることだってあったかもしれませんね。

しかし、例えば他人の網膜に見えている景色を映し出す技術があります(リンクをなくしたので仕組みは忘れましたが、色覚異常の人に対する機械だったと思います)。

であれば、2人の見ている景色は共有出来るかもしれません。ただこれはあくまで感覚器官の機能に差がないことを示しているに過ぎません。赤というものを見て、ふっと心に浮かぶ「なにか」はやはり分からないままです。

結局のところ他人のクオリアとはその人の内にあるもので、外から観察することは出来ないということです。科学で手が出せないんですね。

中国語の部屋

次に中国語の部屋というこれまた有名な命題があります。哲学者サールの命題で、まあ哲学的ゾンビと同じ傾向の思考実験です。

英語しか分からない人を部屋に閉じ込めたとしましょう。部屋には中国語の完璧なマニュアルがあって、それを使えば中国語を知らないまま、中国語で完全なやり取りが行えるのです。

さて、中の状況を知らない人がこの部屋の人と中国語のやり取りを行った場合、外の人にとって中の人は完全に中国語を理解していると思うでしょうか。実際には理解していないのに。

この命題だと脳の反応を見てなんとなく判断できそうな気もしますが、とにかく、外から見ても他人の頭の中身は分からないものなのです。

AIはクオリアを持つのか

先ほどの中国語の部屋の例はまさにAIと同じです。

AIは2014年にはついにチューリングテスト(AI判定テスト)を突破するほど人間らしくなってきています。

しかし、最新のAIは自らの学習成果に従って返答しているだけで、私達と同じ理解をしているかどうかは分かりません。クオリアは存在せず、機械的に応答しているだけかもしれないのです。

心身二元論か、科学万能論か

心身二元論というのはデカルトが提唱した「心と身体は異質で別のもの」という説です。言ってしまえば実体がないクオリア=心として、脳の機能とは別の存在があるという説ですね、たぶん。

反対は科学万能論。科学の立場では主体的な意識というものは存在せず、全ては電気信号のやり取りの中で発生したノイズです。

この世界の全てが数式や科学式で表現出来るのであれば、人間の脳を完全に模倣した人工知能には自然とクオリアが発生しているということになります。

クオリアは自然発生的なものだと信じたい

そもそも人工知能が理論上可能と言われるのは、人間の脳が電気信号で情報伝達しているからです。電気信号ということは0と1の2進数、だったらそれがコンピュータで表現出来ない訳がないという想定からスタートしたものですね。

ところが人間の脳を解析しても人の意識を生む構造は見つからず、クオリアに値するものがないとは言い切れません。

量子力学だって

観測出来ないものが存在しないこととイコールではないというのは、量子論の世界でよく知られた理論です。

シュレディンガーの猫でもお馴染みの量子力学では、電子の観測において「二重スリット実験」と「観測問題」があります。詳しくはググってください(笑)

主流の学説は、電子は観測すると粒になり、観測しないと波になるという意味不明なものです(コペンハーゲン解釈)。

これだと電子は確率的に点在することが出来て、観測された瞬間にある一点に収束されるということになります。ちなみに違う解釈はこれ↓

  • 多世界解釈:観測した瞬間に確定し、確率ごとに世界線が分岐するという解釈(SFチックなアイデアですね)
  • 隠れたパラメータ:未発見の別因子がこの実験結果を左右しているという解釈

人間の脳には野生の本能が備わっている

生物学的な観点から考えましょうか。

人間もかつては野生生物として暮らしていたので、脳の構造も本能的で直感的な機能が備わっています。

例えばライオンに襲われた時に、最適な判断を下すのに1分もかけてあらゆる可能性を分析している時間なんてありません。1秒でとっさに判断して身体を動かさないといけませんね。

だから人間は脳まで情報が行き渡らなくても脊髄で反射的に行動を起こすことが出来ます。よく認識バイアスに繋がりがちと言われるヒューリスティックは実際のところ、生き延びるために必要な機能だったのだと思います。

案外本能のような説明しにくい部分に、見えないクオリアがあるのかもしれません。

ちなみに、人工知能のテーマに「フレーム問題」という、ちょうど上のような問題についての話があります。これはただの問題解決手法の課題なので、ディープラーニングであれば解決出来ると思います。

機械と人間の垣根

色々見てきましたが、どうもアイデアが発散してしまいましたね。

人工知能が幸せを感じることはあるのか、と問題定義しても良かったかもしれません。

まず、機能的な意味として、人工知能は幸せを感じる必要がありません。機械が快感作用を持つドーパミンやセロトニンを分泌することはありませんし、そうしたものがなくても常に一定の答えを導くことが出来るからです。

やる気が出ないから答えを間違える人工知能を想像できますか?

それは人間らしいですが、思考体としては不完全なものです。人間には身体の限界があって、例えば睡眠を取らないと倒れてしまいます。だから脳が制限をかけているのですが、身体のない機械には必要ないことです。

人工知能は幸せがどういうものか意味として分かっても、それを心として実感することはないのではないかと。それってまさに哲学的ゾンビじゃないですか。

そもそも私という意識が身体に宿るとしたら、人工知能には身体がありません。心や魂に宿るとしたら、物理的に人間の脳を模して作っただけの人工知能には存在しないはずです。

逆に私達の身体が全身機械になっても、必ず自分自身という意識を持っているに違いありません。

この上手く説明出来ない差が人間と機械の垣根ということで、クオリアは人間固有のもので、人工的に作ることが出来ないものと信じています。


こうした哲学的というか、人類の神秘は科学技術に暴かれずに残しておきたいですねえ。

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